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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)4452号 判決

原告 入江静代

被告 株式会社 松坂屋

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対して、金百万円及びこれに対する昭和二十七年七月九日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告は予て印刷業を営み、終戦後には商号を桜文社と称していたが、昭和二十一年十二月頃、右商号の下に内縁の夫村田伝名義で被告との間に、「被告は原告に対し、自己の所有する東京都中央区銀座六丁目一番地所在、被告銀座支店店舗の二階約一坪を使用させ原告は同所において松坂屋印刷部の名称の下に印刷業を営み、売上金の二割を被告に支払う。」旨の契約を締結し、右約定に基き同支店の店舗内に印刷機を据付けて売場の責任者を村田伝として開業した。昭和二十三年から昭和二十四年にかけて、村田が被告の店員等と共謀して、被告名義で岡本洋紙店外二店から紙を仕入れこれをほしいままに他に売却し代金を費消したという事件がおこり、被告はその信用を維持するためには相当の損害を覚悟しなければならなかつたので、原告に対し再三右事件の後始末をするよう依頼し、その交換条件として、右営業名義を原告名義に変更して継続させることを申出た。

二、よつて原告は、被告の利益のために自己所有の家屋及び動産等総財産を売却して、前記紙代金に関する村田の不始末を整理し被告の信用を保持せしめ、その代償として昭和二十四年十一月一日自己の名義で静月社の商号の下に被告との間に従来の契約に代えて左記内容の契約を締結し、営業を継続した。

イ、被告は原告に対し爾後十年間銀座支店店舗二階の一部に備付けたケース一箇と、松坂屋印刷部の名称を使用させる。

ロ、原告は同所において右名称を用いて印刷業を営み、被告に対し対価として売上金の二割二分にあたる金額を支払う。

ハ、右対価の支払方法として、原告は毎日の売上金を一応被告に預け、被告は預り金中より二割二分の金額を控除し残額を十日目毎に原告に返還する。

三、然るに、被告は昭和二十四年十二月末頃にいたり被告銀座支店営業部長井沼清七等を通じて、原告に対し印刷部を被告の直営にするとの理由の下に立退きを要求したが、原告は之を拒絶した。

四、昭和二十五年一月二十五日、井沼等は遂に実力を以て前記原告使用中の売場ケースを除去し、原告の営業を不能ならしめた。

五、原告はその結果右営業による一切の利益を喪失した。原告の再開以来の営業成績は、一日平均売上金三千五百円、利益率は売上金の五割五分、被告に支払う対価を控除した純利益は売上金の三割三分であるから、契約期間である十年間に原告が得べかりし純利益の総額は、四百十五万八千円であり、これを喪失して原告は同額の損害を蒙つたのである。

六、右の損害は、被告の使用人である井沼等の不法行為に因るものであるから、被告は原告に対しこれを賠償する義務がある。原告は被告に対し、本訴においてこの内百万円及び訴状送達の日の翌日である昭和二十七年七月九日から支払済に至るまで年五分の割合に因る遅延損害金の支払を求めると述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張の請求原因事実中、原告が総資産を売却して村田の不始末の整理をしたとの点は知らない。その余の事実はすべて否認する。

二、(請求原因事実の一、二について)昭和二十三年六月中村田が手押印刷機一台を被告銀座支店店舗の地下室に持込んだ事実はあるが、同月中に持去つており、機械を据付けて営業を開始した事実はない。被告のような大商店の信用は何時にも代え難い貴重なものであつてこれを金銭を以て他人に提供することはあり得ない。被告と村田との関係は次のとおりである。

昭和二十二年十一月初頃、被告は銀座支店店舗内文房具売場に小印刷物係を設け、村田(桜文社と称した)との間に同支店の発注する印刷物を製作納入させる契約を締結したが、それは「売仕切仕入」と称する方式によるものである。すなわち、同支店は顧客から印刷物の注文を受けこれを売渡す都度売値の八割の代金を以て右印刷物を村田から仕入れ、販売日毎に仕入書を作成し、その仕入代金は毎月定例支払日に村田に支払う。村田は右売場の陳列棚に見本品を並べ、且連絡や運搬、売場の手伝などのため自己の使用人を出入させることができるが、右売場の使用権を取得することはない。右営業はどこまでも被告自身の営業である。このような内容の契約であつた。

ところが、村田は不評であつたばかりでなく、昭和二十四年五月頃訴外岡本洋紙店に対し、振出人「松坂屋印刷部村田伝」なる名義で額面四十万円の手形を発行し、これを不渡にして被告に迷惑をかけたので、同支店では同人との取引を中止する意向であつたところ、原告は昭和二十四年十一月頃前記井沼に対し、内縁の夫である村田から同支店における印刷営業の権利を譲受けたからと称して名義書替を求めて来た。もとより村田はかかる営業権を有しないのであるから、被告は原告の右申出を拒絶した。従つて原告の主張するような事実は全くない。

三、(請求原因事実の三、四について)昭和二十四年十二月十日原告は被告に対し、右要求を繰返したが、被告はこれを峻拒し、爾今原告の当該売場に立入ることを禁止し、村田が提出していた見本品の引取りを要求したところ、原告はこれを承諾し任意に引揚げた。

四、(請求原因事実の五について)被告銀座支店が村田から仕入れた印刷物の代金は昭和二十二年十二月中は千九百六十円、同二十三年中は一箇月平均二千百六十円、同二十四年中はやゝこれを上廻る程度であつた。

五、仮に原被告間に原告主張のような契約が成立したとしても、以下述べるいずれかの事由によつて契約は終了し、原告は任意に当該売場から引揚げた。

(イ)  昭和二十四年十二月十日原告と被告代理人井沼との間で契約を合意解除し、且つ被告が任意に業務場所を処理する合意が成立したのである。

(ロ)  この契約による事業は、被告の営業遂行のためにのみ締結され存続するものであるから、当事者間においては、被告は営業上の都合ある場合にはいつでも一方的に契約関係を終了させることができる旨の特約があつた。被告はこの特約に基いて昭和二十四年十二月十日この契約を解約した。

(ハ)  また、この契約中には、原告において被告の信用名誉を害うような行為があつた場合には、同じく被告が一方的に解約できる旨の特約があつた。原告は昭和二十四年十二月二十八日店内の多数の来客の前で、金銭にからんで自己の使用人の丸山に殴打されるという醜態を演じ、被告の信用を害つたので、被告は昭和二十五年一月までの間にこの契約を解約した。

(ニ)  なお、東京都内の百貨店におけるこのような契約については、右(ロ)(ハ)に述べたような事由がある場合には、百貨店側が一方的に解約できるという慣習があり、原被告間にはこれに従う明示又は黙示の合意があつた。よつて被告は(ロ)又は(ハ)に述べた日時、そこで述べた事由によつてこの契約を解約した。

六、従つて被告には何等不法行為なく、原告の請求は失当であると述べた。〈立証省略〉

理由

原告は、被告の不法行為に因つて、被告との間の次のような契約上の権利を侵害されたと主張する。

すなわち、原告は終戦直後より、桜文社の商号で印刷業を経営中、昭和二十一年十二月頃内縁の夫村田伝名義で被告との間に、「被告は原告に対し、自己の所有する東京都中央区銀座六丁目一番地所在被告銀座支店店舗の二階約一坪を使用させ、原告は同所において松坂屋印刷部の名称の下に印刷業を営み、売上金の二割を被告に支払う。」旨の契約を締結し、右店舗に印刷機を据付けて開業した。昭和二十三、四年頃村田が被告の店員と共謀し、被告名義で岡本洋紙店外二店より紙を仕入れこれを費消しながら代金を支払わず被告に迷惑をかけた。それを原告が総財産を擲つて後始末をつけた。その代償として、被告の申入により、原告は、昭和二十四年十一月一日被告との間に「被告は原告(商号静月社)に対し爾後十箇年、同支店店舗の二階の一部に備付けたケース一箇と『松坂屋印刷部』の名称を使用させる。原告は同所において右名称を用いて印刷業を営み、被告に対し対価として売上金の二割二分の金額を支払う。右対価の支払方法として、原告は毎日の売上金を一応被告に預け、被告は預り金中より二割二分の金額を控除し残額を十日目毎に原告に返還することとする。」旨の社名並に責任者名義等変更の契約を締結した旨主張する。

真正にできたことについて争のない甲第十五号証、証人田島憲邦及び原告本人(第二回)訊問の結果によつて真正にできたものと認められる同第十七号証の各記載証人村田伝、城喜美子及び原告本人(第一、二回)の各供述の中には右主張にそうような記載並びに供述部分があるが、これらは後記各証拠に照し信用することができないし、他に右原告主張の事実を認めるに足る証拠はない。

却つて真正にできたことについて争いのない乙第一号証の一ないし十六、第二号証の一ないし十一、第三ないし五号証の各一ないし十、第六号証の一ないし十一、第七号証の一ないし十、第八、九号証の各一ないし十一、第十号証の一ないし十、第十一号の一ないし十一、第十二号証の一ないし十、第十三号証の一ないし十七、第二十八ないし第六十九号証の各一、二文書の方式及趣旨に依り公務員が職務上作成したものと認められることによつて真正にできた文書と推定される乙第二十三号証の一、二の各記載に、証人井沼清七、加藤義次、金山重盛、野中保、田島憲邦の各供述を考え合せると、次のとおり認められる。

すなわち、被告は都内の他の百貨店業者の場合と同様、営業種目中取扱に特殊の技術を必要とするものとか、専門的なものについては、これを合理的且つ迅速に処理するため、納入業者との合意に基き、特殊な仕入販売の方式を採用している。これを「売仕切」と称し、或種の商品について、納入業者から提供された見本等を被告の店頭に陳列して両者間の合意に基く売値によつて客と取引し、受取つた代金は被告に入金の上一日毎に売れただけを各業者から仕入れる形式とし、仕入代金は十日ないし一箇月毎に業者から請求させ一定の歩合を控除して支払うものであつて、取扱の便宜のために業者側の使用人が売場に出入して販売事務を手伝うことは認めるが、すべて被告側売場主任の監督下に属する被告の営業であつて、業者に対し売場の使用権を与え独自の営業をさせることを認めるものではない。従つて被告は業者の意向も尊重はするが、原則として売場の変更等も自由に実施できるし、被告の事業の都合により一方的にこの契約を解約することもできる。昭和二十三、四年頃は納入業者と百貨店業者との間におけるこの種契約の締結は口頭を以てする商慣習があり、被告の場合、業者からの取引申請があれば銀座支店の支配人が諾否を決裁した。昭和二十二年十二月頃被告銀座支店は、当時の文房具売場係長加藤義次を介し村田伝(商号桜文社)本人との間に、右商慣習に従い、口頭で印刷に関し、期間の定めなく、歩合を売値の二割(昭和二十三年九月十一日より二割二分とす)と定めた売仕切契約を締結した。

このように認められる。

前記各証拠に、真正にできたことについて争のない乙第十四号証の一ないし三、同第十五号証の一、二、証人野中保の供述によつて真正にできたものと認められる同第十六号証の各記載、証人水野源次郎、村上弘雄、の各供述を考え合せると、更に次のようなことが認められる。

村田は右認定の契約成立以来被告銀座支店店舗内に小印刷機を持込んで被告の注文に応じていたが、被告名義を冒用して振出した手形を不渡にして被告に迷惑をかけたことから、昭和二十四年秋頃以来当該売場に現はれなくなり、代つてその頃同人との内縁関係を清算した原告が顔を出すようになつた。そして原告は、村田の去つた後引続き当該売場の業務にたずさわつていた村田の使用人田島憲邦を介し、被告に対し、村田(桜文社)の営業を譲受けたからと称して昭和二十四年十一月一日を期し責任者名義を村田から原告に、商号を桜文社から静月社に変更されたき旨を被告所定の様式により申請したが、この申請は、当時の同支店営業部長井沼清七のところで中止され遂に被告の承認を得るに至らなかつた。そして村田と被告間の前記契約は、村田の出奔後後継者なく翌昭和二十五年一月末当該売場が閉鎖されるまでは、同人の使用人であつた田島が村田の印を使用し事実上桜文社としての業態を継続していたに過ぎない。このように認められる。

右認定事実からすると、結局原告は被告に対し何等の契約上の権利を取得するに至らなかつたのであり、両者間に原告主張のような契約関係が成立したことを前提とする原告の本訴請求は、爾余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却すべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本実一 新村義広 吉田武夫)

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